あぁ、サリタ!!

2018.01.06.10:00

24909832_1956613427686175_4129376303651191588_n.jpg

セワ・ケンドラに長く通っていたサリタが天に召された。

昨年、12月10日。

自宅で。  心臓発作とか・・・

数日前までセワにも 普通に通ってきていたそうな。

体調をくずしているとかでお休みしてすぐのこと。


26177006_1980217625325755_273073401_n.jpg

セワ・ケンドラの靴箱の前で。

母親のムナ・マヤさんとサリタ。

P8240088.jpg


セワでの自由時間に マイナ先生がサリタの手をとっている。
 (中央前向き、グレーのブラウスの子)

たくさんの
たのしい時間を、セワで、セワのみんなと一緒にすごしたよね。

いつも、ほんとにニコニコしていたサリタ。

目もほとんど見えず、体も弱く、話すこともできず、知的障害の程度も重かったけど
セワでの時間をたのしんでいることだけは
スッカにもわかった。

「楽しい時間をすごしてほしい」

セワはそのためにある。

サリタは、セワで良い時間をすごしたと信じる。


  ***********  こぼれ話

サリタのお母さんは、ジョティ・ケンドラという日本人シスターがなさる幼児園のスタッフ。

セワもまだなかった
ジョティ開所当時、大天使ミヤ(宮内)もスッカ(安達)も
ジョティ・ケンドラに住み込みみたいに入りびたってボランティアをしていた。

サリタのお母さんのムナ・マヤさんは、お掃除のスタッフだった。
当時、小さな幼児だったサリタをおんぶして
スックンバシ(スラム街)から通っていた。

ムナ・マヤさんは最初、出勤簿に自分の名前をサインすることもできなかった。
そんなスタッフは何人もいた。

大天使ミヤは、サリタの姉が中学に入るとき、制服のプリーツスカートを
縫ってやっていた。
ムナ・マヤさんは、戒律の厳しい宗派のヒンドゥー教徒なので、食事に制限が多く、
ジョティ・ケンドラにほかのスタッフとは別に、自分で持ってきたお弁当を食べていた。

大天使ミヤもスッカも、そのおすそ分けによくあずかった。

サリタはジョティ・ケンドラの通所者でもあった。
知的障害のあって、怒ると乱暴になるサリタは
体が大きくなるとほかの小さな幼児には「危ない」存在になってきた。

イエズス会の大木神父様のなさる障害児学校シシュビカス・ケンドラを経て
セワ・ケンドラにきた。

ムナ・マヤさんは、セワまで遠い道のりだが朝に夕にサリタの送り迎えをして、
昼間はジョティ・ケンドラで働いていた。

サリタは、セワでは落ち着いていた。
楽しげだった。

サリタの人生の最期は、セワの子だった。
セワの子として逝った。

スッカはもうじきポカラを訪問する。
ムナ・マヤさんとサリタを偲びたい。







theme : 海外ボランティア
genre : 福祉・ボランティア

comment

Secret

No title

2018.02.04.17:50

サリタは、弱視だったためだけではなく、栄養不良のせいもあってジョテイでは歩行も、後ろに手をやりお年寄りの方が歩かれるようなスタイルで歩かないと転んでしまうので、ひょっこひょっこと歩いていました。弱視の手術を・・と云う話もあったけれど、麻酔に耐えられない・・と云う事で見送られました。
中学生くらいの年になってからは、家から歩いて通っていました。途中サリタのお母さんの負担を少しでも助けたいと日本からサリタ募金が寄せられた時期がありました。
セワが彼女にとって本当に心安らぐ場所であってくれていたらどんなにうれしいことかしれません。
プロフィール

スッカ

Author:スッカ
セワ・ケンドラの日々ーみんな、生まれてきてよかったね!
のブログへようこそ!!!
ネパールはポカラにある知的障害者通所施設、セワ・ケンドラを作り、運営してきて10年、日本の事務局をやっているスッカ(ネパール語でしあわせ)です。
代表は「大天使ミヤ」
日本から経済面のサポートをしつつ、現地での交流を続けています。
次なる10年にむけて、Go!!!!!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR